高麗人参が日本で知られた経緯

高麗人参が日本に初めて入ってきたのは、奈良時代にまで遡ります。
当時、朝鮮半島の根元付近に位置していた渤海という国から、当時の天皇であった聖武天皇へと贈答品として献上されました。
日本からは、お返しに銀を送ったので、それ以降、高麗人参は銀と交換するという形の貿易が長い間続けられていたようです。

奈良時代から1000年近く後に、江戸幕府を開いた徳川家康公が、高麗人参を愛飲していたというのは、有名な話ですが、なんと75歳まで生きたといわれているのです。
戦国時代には、数多くの有名な武将がいますが、その中でも誰もが知っている名前といえば、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉がまず挙げられるのではないでしょうか。
戦国時代に活躍し、天下統一を目前にしたときに命を落としてしまった織田信長は、49歳で亡くなっています。
織田信長の家臣でありながらも、織田家の勢力を奪うような形で天下統一を果たした豊臣秀吉は、刀狩りや朝鮮出兵など、かなり強引な統治を行っていまいしたが、その暮らしぶりは非常に贅沢なものだったようです。

その結果、自ら健康を害してしまって62歳でこの世を去っています。
当時は、30代、40代で亡くなってしまう人も多かったのですが、そんな戦国~江戸時代において、75歳まで生きた徳川家康は、健康に非常に気を使っていたからこそ高麗人参を愛飲していたのではないでしょうか。
江戸幕府を開いた後、200年もの間平和な時代を築くことができたのは、家康の実力はもちろんのことですが、高麗人参のもつ健康パワーのおかげであるということもできるのではないでしょうか。

ただ、このころは、高麗人参を栽培することはできなかったようです。
8代将軍の徳川吉宗公の時代に、ようやく日本国内で栽培できるようになり、幕府が種を与えて育てさせていたことから、御種人参ともよばれるようになりました。
そして、日本の伝統医学においても積極的に使用されるようになってきたのです。